D.教会めぐりコース
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン教関連遺産」に出会う旅:上五島北部版です。国指定重要文化財の教会2つと、さらに6つの教会を回ります。最後に訪れる大曾教会は、八角形のドーム型鐘楼や2色使いの煉瓦に特徴があります。
中通島の北の玄関口である有川港周辺、または青方地区をスタート及びゴールとする周遊プランです。
※ 教会は地域住民の大切な祈りの場です。マナーを守って静かに見学をお願いします。
教会めぐりコースの所要時間と料金
所要時間 | 3時間 | |
料金 | ジャンボ(9人乗) | 18,720円 |
小型車 (4人乗) | 12,780円 |
コースの詳細
出発地(有川・青方地区)
頭ヶ島天主堂
1919(大正8)年に完成し、コンパス司教により祝別・献堂された教会。全国的にも珍しい石造りの天主堂は鉄川与助の設計施工によるもので、信徒たちが近くの石を切り出して運び、約10年の歳月をかけて作られました。2001(平成13)年に国の重要文化財に指定。2018(平成30)年には天主堂を含む集落全域が、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「頭ヶ島の集落」として登録されました。
旧鯛の浦教会とルルド
上五島における布教の中心として1881(明治14)年に設立されました。1903(明治36)年に木造瓦葺きの聖堂に建て替えられ、後にレンガ造りの鐘塔が増設されました。鐘塔の一部には被爆した浦上天主堂のレンガが使われています。1979(昭和54)年には新聖堂が作られ、旧聖堂は現在資料館として使われています。旧聖堂の横には地元出身の彫刻家:中田秀和氏制作寄贈のマリア像と信徒たちの労働奉仕によって作られたルルドがあり、緑の中に浮かぶ二つの白い像が大変印象的です。
丸尾教会・鉄川与助ゆかりの地
数多くの天主堂を設計した鉄川与助の生誕地に建つ白亜の教会「丸尾教会」。現在の聖堂は1972(昭和47)年9月に建立されたもので、1928(昭和3)年建設の旧聖堂は納骨堂になっています。教会堂からは丸尾集落が見渡せます。
丸尾集落内にある「鉄川與助居宅跡」は建物は無くレンガ塀が残っているだけですが、敷地内にはたくさんの鉄川与助に関する説明板が立てられていて、鉄川の功績を知ることができます。
青砂ヶ浦天主堂
1878(明治11)年頃に小さな集会所が作られたのが始まり。現在の教会堂は3代目で1910(明治43)年に建立。大崎神父が外国から原書を取り寄せて設計・施工の指導にあたったもので、鉄川与助のレンガ造り教会堂2作目となります。2001(平成13)年に国の重要文化財に指定。上五島の冬の風物詩「教会群のイルミネーション」は有名ですが、本天主堂のイルミネーションは、2012(平成24)年に日本夜景遺産にも認定されました。
冷水教会
奈摩湾を望んで立つ木造の教会。1907(明治40)年、後に数多くの教会を手掛ける鉄川与助(地元丸尾郷出身)が独立し棟梁となって初めて設計・施工した第1作目の教会としても有名です。トンガリ帽子のような尖塔をもつ単層屋根の小さな木造建築で、内部は三廊式。主廊部・側廊部ともに漆喰仕上げで、天井はリブ・ヴォールト天井(こうもり天井)ながら低く、列柱も角柱で柱頭の装飾も簡素な印象。冷水教会より4年早く建てられた旧鯛ノ浦教会堂の装飾とよく似ています。
青方教会
上五島地区のカトリックセンターとしての機能をもつ大型の教会。1960年代から1970年代にかけて過疎集落を集約する「集団移転」が五島各地で行われ、上五島の中心地だった青方地区には多くの移住者が集まり信徒数が急増。そのため1975(昭和50)年に新しく教会が建立され、さらに2000(平成12)年には現在の建物に建て替えられました。建物1階はカトリックセンターで、2階が教会聖堂になっています。
跡次教会
初代は1914(大正3)年、2代目は1932(昭和7)年、そして現在の教会堂は1984(昭和59)年に作られました。国道からすぐの山手に見ることができ、緑の中に映える白い外壁が美しい教会です。
教会から眼下を見おろすと青方湾が広がり、そこに浮かぶ世界初の洋上タンク式石油備蓄基地「上五島国家石油備蓄基地」を望むことができます。
大曾教会
赤レンガ造りの聖堂と白いキリスト像が印象的な教会。1879(明治12)年に最初の木造聖堂が建立され、1915(大正4)年に鉄川与助の設計により現在の天主堂となりました。
重厚な十字架と八角ドーム型の屋根をもつ方形の鐘塔、半円アーチの窓、西独製の花柄に組まれたステンドグラスなど、大正ロマネスク様式の代表作に挙げられます。2007(平成19)年に国の重要文化財に指定されました。